
【Part 1からの続きです】
Theatre吉田(以下「T」):碑文谷散歩、お疲れさまでした。やはりプロの話しを聞きながら神社やお寺を巡るとまた違った建物、場所に見えてきます。ここからは先ほど現地でしたお話しをもう少し詳しく、また文化財のお話についても聞かせてほしいです。
目次
神社仏閣・文化財建築の耐震について

T:まず伺いたいのは、耐震についてです。不動産業界では築年数が経っている建物についてはほぼ必ず耐震について話題になります。お寺や神社、また文化財といった分野では耐震に対してはどのような考え方なのでしょうか。
wyes architects齋賀・八木(以下「w」):少なくとも国の文化財建造物については、文化庁から全部の建造物の耐震診断をしましょうという指針は出ています。ただ全てをすぐにできるわけではないので、順々に進めているということです。診断をして、必要であれば耐震補強をするという流れです。
やはり木造の文化財の場合、多くは耐震性能が不足しているという結果になって、補強しましょうというのが一番オーソドックスな対応です。実際に補強をしている文化財も数多くあります。見えないように工夫をしていたり、補強のパターンは様々です。
T:やはり見えないようにしてるのですね。
w:できるだけ見えないようにするというのが、歴史的建造物の外観や意匠において、重視されやすいですよね。また内部には仏像が安置されていたりするので、それらに配慮して耐震補強を考える必要があります。どこにどのような形で補強を入れるか、工夫をこらしてやっていることが多いです。

T:圓融寺は重要文化財ですよね。
w:はい、釈迦堂が重要文化財です。そのため「文化財としての価値を損なわない形で耐震補強をしてほしい」と要望があるわけです。おそらく今日見たところ、釈迦堂はまだ耐震対策をしていないと思います。というのも、優先順位があって、やはり参拝者が立ち入る場所を優先することが多いからです。一般の方が中に入らないエリアは、公開スペースに比べた場合には緊急性が少し下がるというイメージです。
T:具体的な補強の提案は誰がしているのでしょうか。
w:いくつかケースがありますが、例えば一つは、私が以前所属していたような、文化財の保存修理に特化した設計事務所が、協力事務所と一緒に検討して進めています。そして、所有者や文化庁、自治体などと細かく調整をしながら「この方法で補強しましょう」といった合意を取ります。もちろん所有者さんにも「この案ならいいね」と言ってもらわないと進みませんし、文化庁からも「この範囲、この方法なら認めます」というOKが出ないと工事には入れません。
文化財建築の耐震化、そのお金と実務の話

T:一般的なビルや戸建住宅よりお金がかかるのでしょうか。
w:お金はかかります。なぜかというと、一般的なビルや学校の耐震補強工事では、流通している規格品の鉄骨や部材を使うことが多いですよね。でも文化財建造物の場合、それではうまくいかないこともあります。もちろん流通している部材で使えるものは使いますが、どうしても形状が合わない箇所が出てきます。
例えば建物の形状が特殊だったり、もとの部材に合わせないといけなかったりして、特注の部材を作らなければならないケースがかなりあります。そのため標準的な鉄骨をそのまま当てはめる、みたいな単純な補強ができず、結果としてコストに跳ね返ってきてしまいます。
文化財の価値を損なわず、かつ地震に耐える強度も必要なので、通常の建築物に比べて、手間もコストも大きくなりがちですね。ただ文化財の場合はものすごく大きな建物というのは少ないので、単価が高いという表現の方が正しいのではないかと思います。
T:工事の費用負担に関して、文化庁から補助金は出るのでしょうか。
w:50%以上出るというのが一般的ですが、所有者の財政状況によって変わります。あとは自治体、例えば目黒区にある場合は、東京都や目黒区が一定の割合を出したりします。それによって所有者の費用負担の割合が変わります。それぞれ財政状況は異なるので、文化財に対してどの程度予算を出すかは自治体によって変わります。文化財修理は、補助金を適切に運用できるかどうかが非常に重要です。
T:思ったより補助してもらえるという印象です。
w:一般的な住宅も耐震診断や耐震改修の補助金、助成金があると思いますが、住宅と比べると文化財は全国でもそこまで数が多いわけではないんですよね。全国で5,500棟くらい、件数で言うと2,500件程度です(2025年現在)。ですので、この割合でも行政が負担できるのではないかと思います。
その代わり文化財は個人の所有であっても公共性があるので、「個人の所有物だから好きにしていい」とはなりません。文化財だから補助も手厚いけど、やることはしっかりやってねという事はあります。その点は一般的な建築物とは違いますね。

T:ハンドリングは誰がするのでしょうか。
w:一つは、文化財建造物の「修理主任技術者」が建物の調査を行って、「このくらいの費用がかかります」という見積をまとめ、自治体や所有者や文化庁と協議を進めていくことになります。書類を申請するのは所有者ですが、事前調整は設計者や行政が行います。
T:実務をやっている方でないと知らない内容がほとんどですね。
w:はい、裏側ではかなり地道な事務作業が発生します。文化財の実務は「補助金業務」ができるかどうかが重要です。建築も大事なのは当然ですが。
T:書類が多そうですね。
w:まさにそうですね。文化財に関わる仕事は、実はかなり書類作業が多いです。独立した今はそこまで多くないですが、以前は仕事の4割くらいが補助金関連の書類も含めた事務作業だったこともありました。ただ大事なんですね。書類は記録に残るものなので。
T:ちなみに今プロジェクトを進めている丸木美術館は耐震補強をするのでしょうか。
w:丸木美術館は補強を検討していますが、文化財には指定されていないので、自己負担ですね。

丸木美術館(埼玉県東松山市)
残すだけでなく、つなぐ。
神社仏閣と文化財、社会との関係をデザインする

富岡製糸場「西置繭所」(群馬県富岡市)
T:富岡製糸場についてもぜひ聞かせてください。富岡製糸場では内部にガラスボックスを設置するという手法を取っていますよね。これは文化財の保存方法としては、かなり珍しいケースではないかと思います。あの手法はもともとあった手法なのでしょうか。
w:あの手法自体は、ヨーロッパの歴史的な建造物で類似の例がありました。例えば使われていない大きな倉庫空間をオフィスや展示場などにしようとすると、問題になるのは「照明と空調」です。倉庫が老朽化して気密性も取れていないとき、空間全部のスペックを上げようとするとものすごくお金がかかってしまいます。
新しく使う時には、人間が活動する範囲、機能が必要な範囲は実は限られている場合も多いので、新しく使うところに限って設備を整えて、周りの部分は「バッファゾーン」としてとらえる。でも空間としては豊かだよねというような使い方ができるという事例がありました。
それをただ日本に持ち込むのではなく、日本の場合は耐震が重要なので、耐震補強を兼ねて既存の建物をガラスボックスの中から鑑賞する形としてアレンジしたのが富岡製糸場の例です。あの手法を日本で使ったのは初めてで、竣工して5年経ちましたがいまだにないです。日本の文化財の場合、大規模に空間に手を加えるという例はあまりなかったのですが、最近は少しずつ傾向が変わって来ていると思います。
T:それは富岡市が実施する決断をしたということですね。
w:そうです。富岡製糸場は施設が広いので、修理して公開するだけで、これから先も後世に残していけるのかという考えが富岡市にはありました。今日見たお寺は今も昔もお寺です。だから、もし修理したとしても基本はお寺のままですよね、神社もそうです。
例えば民家などで、所有者がいなくなって資料館にするケースがありますが、富岡製糸場の場合は5ヘクタール以上にわたる広大な元工場施設がまるっと文化財です。建築が残っているだけでは、訪れた人も動いていない工場を見ても何もわからない。残していく方としても、ただ残っている工場を見せるだけではなく、どう人々が生活していたか、働いていたか、製糸業が日本の近代の基幹産業の一つであった当時の雰囲気をどう見せるか、伝え方も工夫した方がいい。 前提条件としてそういったことがあのプロジェクトにはありました。

富岡製糸場「西置繭所」(群馬県富岡市)
w:一方、今善光寺では、ガラスボックスみたいに見た目でわかり易い手法ではなく、小さなマップを企画して制作したりしています。手法は全然違いますが、文化財の見せ方という意味では似たところもあって、何となく見過ごされがちな部分にどう着目してもらうか意識しています。例えばお寺とか神社とかも普通に行ったら、参拝して、手合わせて、お賽銭投げて、場所によっては仏様を見て、帰るじゃないですか。本当に何を見てるのかって言われると、実はあんまり良く分からないことが多いんですよね。
だけど、ちょっと視点を変えると違ってくる。今日見た碑文谷八幡宮の狛犬でもそうですが、いつか誰かが寄進したものなんですよね。そういうことから脈々と「信仰が生きてきたこと」とか、「生活と地域のつながり」とかが少しずつでもわかるような仕掛けを作れるんじゃないかなって。そうすると、ふつうに参拝するのとは違うお寺や神社の姿が見えてくる。
だから最終的にアウトプットはガラスボックスを構築することと、境内をめぐるマップを作ることでは全く違うんですが、元々の発想は同じかなと思っています。
よく観察していると、観光地じゃないけど重要なお寺とか、その重要というのは価値が高いというだけの意味ではなくて、生活とか地域に根付いてたんだなとか、今でもまだこんな風な繋がりがあるんだなというところなど、わかってくることがあります。
例えば、お寺に併設されている幼稚園などは、当然近世にはなかったもので、近代になってからできたものです。お寺側にとっては収入源にもなるけど、地域に対する貢献でもあるわけで、それもひとつの地域や生活との繋がりだと思います。そういう繋がりは、普通に生活してると見えにくいけど、少し工夫すれば、見えるようにできるんじゃないかなと思うんです。

T:もともと、そういうことに関心があったのでしょうか。
w:仕事で関わる中でだんだん気づいた感じでしょうか。私たちは建築の世界にいるので、学生のときから「お寺や神社を見に行ってこい」と言われて、とりあえず京都とか奈良とか訪れるようになります。でも、その当時は「建築のスタイル」を見てるんですよね。私の場合は文化財と関わるようになって、主要な建築以外の物も見るようになりました。
例えば東大寺では、みんなが知っているわけではないけど端の方に国宝の転害門という大きな門があったりするんですよ。有名な南大門と比べても遜色ない素晴らしい建築です。観光客はあまり行かないのですが、文化財に関わっている人たちは、「あれは大事な建築です」とちゃんと知っています。
文化財の仕事を経験してきたことで、少し工夫をすると建築単体でなく、歴史を含めたさまざまな像が浮かび上がってくる、ということに気付きました。そうした視点を伝えるためには、文字で知らせるだけではなく、デザインの力があったほうがおもしろくなるんじゃないかと、ちょっと視点を変えた「見せ方」を考えたいなって思うようになったんです。観光地じゃなくても、「このお寺」や「この神社」の大事さを知るきっかけになるかなと考えています。
T:知る機会が増えれば、規模の大小関係なく、お寺や神社への興味も自然と高まりそうです。
w:お寺や神社は記録を大事にするので、入っていったらいろいろなおもしろいことが出てくるのではないかと思っています。
碑文谷散歩振り返り
短い時間ではありましたが、お二人と碑文谷八幡宮、圓融寺を巡り、お寺や神社で今まで意識していなかった部分に触れることができました。最初は建築物を見ながらも、「お寺や神社は文字に溢れている」という齋賀さんのお話しが深く印象に残り、そこから建物周辺の狛犬や石垣、鳥居、そしてそれぞれに刻まれている文字など、さまざまなところに視点が広がっていきました。
Part 2のインタビューにおいては、不動産業界にいるとどうしても気になる耐震の話しや、お二人が関わっている文化財についての「中の人」ならではのお話しは大変興味深かったです。
文化財の耐震化を含めた保存方法について、また文化財そのものについてどう世の中に知ってもらえるかというお話しの中で「デザイン」のワードが出てきたことも印象的でした。これは展示やマップといった視覚的なものに限らず、人と文化財との関係性の設計という意味合いも含まれるのでしょう。これからもお寺や神社、文化財と、世の中の人々を結びつけるため「デザイン」は重要な鍵になるのではないかと思います。
お寺や神社の関係者の方で、どう魅力を発信していくか悩まれているのであれば、お二人の視点、ご経験はきっと参考になるはずです。
宗教建築という特殊な世界だからか、私の単なる知識不足か、建築技法も聞いたことがない単語ばかりで、意味を都度調べながら理解を深めていたことは言うまでもありません。もしこのコラムをおもしろいと思ってくださったのであれば、ぜひ皆さんの近くにあるお寺や神社でも意識して見ていただけると嬉しいです。
後日、Part 1で話題になった碑文谷道と言われている道を歩いてみました。以前から、駅から離れたところに商店街があることが気になっていたのですが、それはかつての碑文谷道の名残なのでしょう。ここを200年以上前に品川方面から圓融寺へ多くの方が向かっていたのかと、思いを馳せました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
Information
碑文谷八幡宮
住所:東京都目黒区碑文谷3-7-3
経王山文殊院 圓融寺
住所:東京都目黒碑文谷1-22-22
HP:https://www.enyuu-ji.com/
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