
出典:Saint John’s Abbey Church St. Joseph (6), Lorie Shaull, CC BY 2.0
目次
はじめに:なぜ今、私は「ブルータリズム建築」に惹かれるのか
映画を入り口にして実際の建築を訪ねる、個人的な連載を始めることになりました。 今回のテーマは「ブルータリズム建築」です。
きっかけは、YouTubeの『ゲームさんぽ』というチャンネルの動画でした。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=XMrAjCvL1fg)
千葉工業大学の教授である八馬智先生のイギリス旅行の写真を振り返りながら、橋を中心とした土木構造物を見ていく、という企画。その中で紹介されていたのがロンドンの集合住宅「トレリック・センター」で、私はそこで初めてブルータリズムという言葉と存在を知りました。
一見するとモダニズム建築のようにも見えるが、一体何が違うのか。初めて耳にした「ブルータリズム」という言葉に興味を持ったので、個人的に調べてみた記録としてここに残します。
本企画の趣旨である、まずは趣味である映画を通じて、その定義や背景をなぞってみることにしました。今回教材とする映画は『ブルータリスト』。あわよくば、映画を見て自分なりに解釈した考えを、実際に建築を見るフィールドワークを通じて、何か「腑に落ちる」状態まで持っていければと考えています。
教材としての映画:『ブルータリスト』

今回、ブルータリズムを理解するための教材としたのは、ブラディ・コーベット監督の映画『ブルータリスト』(原題:The Brutalist)。2024年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、アカデミー賞でも3部門で受賞に輝いた非常に注目度の高い作品です。
『ブルータリスト』のあらすじ:ユダヤ人建築家が直面するアメリカの光と影
詳しい映画解説は避けますが、ストーリーの背景を共有するため、Filmarksよりあらすじを引用します。
——
才能にあふれるハンガリー系ユダヤ⼈建築家のラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)は、第⼆次世界⼤戦下のホロコーストから⽣き延びたものの、妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)、姪ジョーフィア(ラフィー・キャシディ)と強制的に引き離されてしまう。家族と新しい⽣活を始めるためにアメリカ・ペンシルベニアへと移住したラースローは、そこで裕福で著名な実業家ハリソン(ガイ・ピアース)と出会う。建築家ラースロー・トートのハンガリーでの輝かしい実績を知ったハリソンは、ラースローの才能を認め、彼の家族の早期アメリカ移住と引き換えに、あらゆる設備を備えた礼拝堂の設計と建築をラースローへ依頼した。しかし、⺟国とは⽂化もルールも異なるアメリカでの設計作業には多くの障害が⽴ちはだかる。ラースローが希望を抱いたアメリカンドリームとはうらはらに、彼を待ち受けたのは⼤きな困難と代償だったのだ――。
—— Filmarks 作品紹介より引用
少し補足をすると、主人公であるラースロー・トートはバウハウスのデッサウ校で学んだ建築家という設定であり、モデルはマルセル・ブロイヤーを中心とした複数人のユダヤ⼈建築家であると推測されています。(実際に作中にはブロイヤーチェアのようなスチールパイプ製の家具が出てきます)
物語は、ホロコーストを生き延びたラースローが、アメリカの富豪から巨大なコミュニティセンターの建設を依頼されるところから動き出します。己の美学、つまり「装飾を排した構造そのものの美」を貫こうとする建築家が、資本主義や既存の文化と衝突し、執着し、精神を磨り減らしていく過程が描き出されています。
ビスタビジョンが映し出す、歪みのない巨大空間
また、この映画の特筆するべきポイントとしては、ビスタビジョンというフォーマットで撮影されている点です。近年ではポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作でも採用された事が話題になりましたが、特徴としては1フレームに使うフィルムの面積が通常の2倍になるため、極めてきめ細やかで、粒子感の少ない高精細な映像を得る事ができるという点が挙げられます。
本作でこのビスタビジョンが採用された理由としては、とにかく広角で撮影したかったという理由のようです。私も普段建築の室内・外観写真を撮影するのですが、広角レンズを使うとどうしても画面の端が歪んでしまいます。そこで画角は広いけど、画面が歪まないためにこのフォーマットが採用されたようです。
何が言いたいかというと、本作では様々な巨大な建築や空間が映し出されるのですが、広角ながら非常に綺麗な画作りがされています。普段建築写真や空間写真を見るのが好きな方は、この点も注目しながら見ていただければと思います。

出典:Whitney Museum of American Art, Beyond My Ken, CC BY-SA 4.0
ブルータリズム建築の定義:私なりの3つの解釈
映画『ブルータリスト』を通じた考察、そしてその背景にある歴史を紐解くと、ブルータリズムという建築様式の輪郭がなんとなく見えてきます。私なりに辿り着いた定義を、まず3つのポイントでまとめたいと思います。
- モダニズムの極地:過去との徹底した決別
ブルータリズムは、大きなモダニズムの流れの中に位置する様式です。モダニズム自体が、ゴシックやアールデコなどの過去の建築様式や、時代性・伝統・宗教が染み付いた歴史的な装飾を捨て去る運動でした。しかし、ブルータリズムはその先を行きます。装飾などのロマンも一切排除し、建物を構成する要素を「剥き身」の状態で提示し、より構造にフォーカスしました。 - 「ベトン・ブリュット」:生のコンクリート
語源はフランス語の「ベトン・ブリュット(Béton brut:生のコンクリート)」。私たちがよく知る「コンクリート打ちっぱなし」という手法ですが、 それは単なる仕上げの選択ではありません。装飾を施さず、素材そのものの質感を主役に据えること。資源が乏しかった戦後の必然から生まれたこの手法は、やがて「素材に対して正直であること」という倫理的な美学へと昇華されました。 - 構造こそが主役:どこの文化にも属さない「存在」
ブルータリズムにおいて、形や構造は「何かの意味」を伝えるための手段ではなく、それ自体が目的です。特定の歴史や宗教、文化の重みを背負わせず、ただ「構造」だけを前面に出す。だからこそ、ブルータリズム建築は時に異様で、どこの文化にも属さないような圧倒的な異物感を放つ、構造そのものの力強さなのだと感じます。

出典:Corbusierhaus Berlin, David Pachali, CC BY-SA 3.0
映画『ブルータリスト』に刻まれた、思想を裏付ける3つの断片
こうした解釈を、より具体的な輪郭を持って補完してくれるのが、劇中の3つのシーンです。ここからは、作品の核心に触める描写から、ブルータリズム、そしてラースローの精神をさらに深く掘り下げてみたいと思います。
※以降は映画の直接的な内容に触れますので、まだ映画を見ていない方はネタバレに注意してください。
1. 必然から美学へ:コミュニティセンター建設の描写
作中、資源が乏しい戦後の状況において、コンクリートが比較的に安定して調達しやすかったという説明がありました。これは単なる演出ではなく、当時の歴史的背景に基づいた事実でした。鉄や木材が軍需や重工業に優先された時代、どこでも手に入る砂や石灰石を主原料とするコンクリートは、安価で効率的な素材でした。 装飾をする余裕がないという消極的な理由から始まった「剥き出しのコンクリート」の建築が、やがて既存の価値観に縛られない、独自の力強い美学へと転換されていったのではないでしょうか。
2. 存在の証明:ラースローが答えた「何故建築をするのか」
ヴァン・ビューレンの屋敷で開催されたパーティーで、ラースローは「何故建築をするのか」と問われます。それに対して彼はこう答えました。
——
何事もそれ自体を説明できはしない
立方体の説明に、その構造以上の言葉があるか?
戦争が起きた
それでも、、
知る限りにおいて
私のプロジェクトの多くが生き残った
今も都市の中に存在している
欧州での戦禍の記憶が人々を辱めなくなった時
建築物が政治的刺激の代わりとなってほしい
人類の歴史において頻繁に起こる激的変化を促すように
怒りと恐怖に満ちた言説が
いつかまた世を覆う
愚かしい思想の川が再び主流となるかもしれない
でも私の建築物は
ドナウ川の侵食に耐えるように設計されている
——
このセリフこそ、ブルータリズムの建築家であるラースローにとっての「存在の証明」であり、この建築様式が持つ「不変の美学」であったと感じます。立方体を立方体たらしめるのは、表面の装飾ではなくその「構造」そのものであるという確信。そこには、人間が作り出した移ろいやすい思想や政治、あるいは戦争という破壊と虐殺の歴史にすら左右されない、圧倒的な信頼がある。
彼にとってのブルータリズムとは、時代がどれほど愚かな方向へ流されようとも、ドナウ川の侵食に耐える岩のように、ただ圧倒的な「構造」としてそこに存在し続けること。人々の感情や歴史といった「不確かなもの」を削ぎ落とした先に残る、嘘のない骨格にこそ、彼は美しさを見出していたのではないでしょうか。
3. 美の核心:ラストシーン、ヴェネチア・ビエンナーレのスピーチ
物語の終盤、1980年のヴェネチア・ビエンナーレ。ラースローの姪のスピーチによって、彼が追い求めた美学の正体がより鮮明に描き出されます。 「回顧録の中で自分のデザインを”無駄の無い機械だ”と表現しています。……不動の核を持つこと。“美の核心”です。……山や岩などは不変で何も示しはしない。何も語らない。ただ存在する」
ここで語られる「無駄のない機械」という言葉は、構造のみを極限まで追求した結果、余計な意味や装飾を一切持たなくなった状態を指しているのではないでしょうか。また、特に印象的だったのは、山や岩といった自然物との比較です。ブルータリズム建築が時に威圧的で、冷徹に見える理由がここに集約されていると感じました。それらは見る人を喜ばせようとも、何かを装飾して語りかけようともしません。ただそこに、圧倒的な質量を持って「存在する」だけ。
時代を定義しながらも、時代を超えて残り続ける岩のような建築。 これこそが、ラースローが人生を賭けて到達しようとしたブルータリズムの真髄なのではないでしょうか。
次回予告:東京でのフィールドワークへ
映画(ラースロー)というフィルターを通すことで、私の中で「ブルータリズム建築」とは単なるコンクリート建築ではなく、時代や思想に流されないための強固な意志として理解をしました。
しかし、本連載はあくまで「フィールドワーク」を主目的としています。スクリーン越しに定義したこの美学を、実際の日本の街並みの中で確かめてみたい。次回は、日本におけるブルータリズム建築の代表作の一つ、上野の「東京文化会館」を訪ねます。
ラースローという建築家の視点を通して描かれた「無言の建築」は、戦後日本の公共空間においても、同じように成立しているのだろうか。
その記録を綴りたいと思います。





