
皆さまこんにちは。株式会社Theatreの吉田です。
桜が咲く頃、目黒区碑文谷にある圓融寺と碑文谷八幡宮を、建築設計事務所「wyes architects(ワイエスアーキテクツ)」の齋賀さんと八木さんと一緒に巡ってきました。
wyes architectsさんは文化財の保存や活用に携わってきたご経験をもとに、さまざまな建築デザインや調査、企画、展示デザイン等を行っている会社です。誰もが一度は耳にしたことがあるであろうお寺や歴史的建物、施設にその道のプロフェッショナルという立場で関わっています。
不動産の分野においてはリノベーションという言葉も一般的になり、私自身も古い建物に触れる機会は非常に多いです。その一方でお寺や神社のような宗教施設には、50年、100年以上大切に守られてきた建築物が数えきれないほど存在するものの、一般的に売り買いや貸し借りの対象にはならないため、業務上での接点はほとんどありません。昔から身近に当たり前のように存在するお寺や神社の建築物について、興味はありつつも学ぶ機会を作れていない中、オフィスが偶然隣り同士だったというご縁から今回の企画へと繋がりました。
本コラムはPart 1とPart 2の二部構成です。Part 1では圓融寺と碑文谷八幡宮を実際に巡る様子を、Part 2ではwyes architectsさんへのインタビューの様子をご紹介しております。
私たちが普段お参りしているお寺や神社について、建築物として意識するとまた違ったものに見えてきます。また狛犬や石碑などに刻まれた年代を意識してみる作業も大変興味深かったです。インタビューでは、お二人がお仕事で深く関わっている文化財についても、不動産会社の視点も交えながらお話しを伺いました。
ぜひ最後までお読みいただけると嬉しいです。
目次
wyes architectsさんご紹介

合同会社ワイエスアーキテクツ
HP:https://wyes.jp/
齋賀英二郎
八木香奈弥
*敬称略
【業務内容(HPより抜粋)】
八木香奈弥と齋賀英二郎による建築設計事務所です。文化財の保存と活用に携わってきた経験をふまえて、既存建築の調査では、建築自身に備わる価値を探ります。そして、今あるべき姿に建築を更新します。そのプロセスが、次の時代にまで建築が生きながらえることにつながると考えています。
【主な受賞歴】
〈齋賀英二郎〉
日本建築仕上学会賞(作品賞・建築部門)2023(木下純氏、佐藤明生氏、山中実喜夫氏、小山貴義氏との共同受賞)
日本建築学会賞(作品)2022(斎藤英俊氏、木村勉氏との共同受賞)
→弊社も訪問しました(https://theatre-inc.com/theatre_column_004/)
日本建築学会賞(業績)2022(団体での共同受賞)
日本空間デザイン賞2021・金賞(博物館・文化空間)→ インタビュー
照明デザイン賞・優秀賞(2021年、飯塚千恵里氏との共同受賞)
【現在進行中の主なプロジェクト】
丸木美術館(https://marukigallery.jp/)
富岡製糸場(https://www.tomioka-silk.jp/)
善光寺(https://www.zenkoji.jp/)
etc..
碑文谷散歩(碑文谷八幡宮)

Theatre吉田(以下「T」):碑文谷八幡宮に到着しました。私たちのオフィスから徒歩10分ほどの場所です。
wyes architects齋賀・八木(以下「w」):碑文谷八幡宮はお参りに来ますか?
T:来ます。特にお正月はお札をいただきに来て、オフィスの棚に立てています。
w:私たちも初詣に来ました。
T:お正月と比べると非常に静かですね。
w:多くの神社はそうではないでしょうか。よほど有名なところは違いますけど。ただこの後行く圓融寺やこの辺りは江戸時代後半(1780〜1800年)には観光地だったらしいです。例えば品川の方から碑文谷道を歩いて来て、仁王様を見てご飯を食べて帰るという感じだったようです。今は例えば中目黒や自由が丘に遊びに行く人はいても、なかなかここ(碑文谷)に観光に来るという方はいないですよね。

T:神社にくるとどのあたりに視線が行くのでしょうか。
w:建築だけでなく、よく見るのは石垣や玉垣(たまがき)灯篭など、境内にある色々な石でつくられたものです。たとえば、いつ頃寄進されたか書いてあるのでそういったところを見ます。あと、今見るとちょっと傷んでいるように見える部分、例えば本来作った時は水平だったはずですが、一部水平ではないように見える部分は木の根っこの影響も受けているのかもしれません。そうした「破損」した箇所にも目が行きますね。もしこれが倒れてきたり、荒廃してきたりすると地元の氏子さんがなんとかしなければという話になり、寄付を募って、寄進をしてもらう。そうすると寄進者の名前が掘られる。こうした関わりを境内から読み取ることができます。ちなみにあそこ(玉垣の一部)に何年に寄進されたものか、書いてありますね。

T:今まで石に彫られている年代を意識して見たことがありませんでした。本殿前の狛犬は明治42年生まれの方が平成5年にと書いてありますね。ちなみにこのようなものの形って誰が決めるのでしょうか。
w:普通は寄進する人と相談ですね。寄進すると決めると神主さんとどの石工さんにお願いするか相談してこんな形にしましょうとか。場合によっては、参考のものに似せたものを作って欲しいというオーダーもあるかもしれない。石工さんと神主さんと、お寺だったら住職とかと相談しながら決める感じですかね。あそこにも狛犬がいるじゃないですか。神社によっては、狛犬が何個もある場合もある。寄進した年月が違って例えば元々は拝殿の近くにあったけど新しいものが寄進されたからひとつ前の場所に移されるということもありますね。
明治や大正の頃の狛犬だと、小叩き(こたたき)といって細かい金具を使い手作業で石を叩きながら形を作っています。平成のものだと、機械を使っているものも多いです。

w:この狛犬の方が古そうですね。
T:古そうですね。こっちの方が緑が濃いです。
w:書いてありました。明治26年。非常にいい雰囲気ですね。こうやって神社とかお寺にきた時は結構文字も見てみます。文字を見ると、ある時期にまとめて綺麗にして今の状態になったのか、いろいろな時代にいろいろな人がちょっとずつ寄進したり手を入れたりしてきたものが今の形となっているのか。なんとなくわかってきます。

T:こういう建物を見て、いつ頃建ったとはわかるのでしょうか。
w:細かいところはわかりません。これは、江戸後期や明治とかになるのかなと思います。東京に今残っている神社建築は近代以降のものが多いと思いますが、その中には戦後に建てられたものも結構あります。この拝殿は明治みたいですけど。
T:装飾が新しく綺麗に見える部分もあります。
w:銅板を葺き替えたり、張り替える時に金具を新しくしているとかはあるかもしれないですね。

T:素人目線ですみません。あの屋根の端のところ(写真中央の屋根破風板近く)のグニャッとなっている部分はなんというのでしょうか。
w:あれですか、あれは箕甲(みのこう)。屋根の収まりで職人のこだわりが見えるところです。この建物では銅板で葺いているのですけど、これは元来は檜皮葺(ひわだぶき)の形。檜皮葺はもって30年くらいなので、銅板や鉄板を檜皮葺風に葺く、ということもやるようになっていきます。
T:檜皮葺とは初めて聞きました。
w:ちなみに長野県にある善光寺の本堂は檜皮葺です。ひわだは檜の皮ですね。檜の皮を剥いで、寸法を揃えて切って、竹釘で何重にも張る。60センチほどのサイズのものを下地の上に張っていくので、特有のカーブが表現しやすいのです。住宅では凝った建築家でないと檜皮葺は使えませんね。料亭とかではあるかもしれません。

T:このような建築物で、今のデザインに残ってたり影響を与えてたりしている部分はあるのでしょうか。
w:影響がないわけではないと思いますが、神社建築とかお寺は宗教建築です。だから現代の住宅とか公共建築に直接的な影響があるかと言うと…あまり直接デザインとして使われているとは言えないと思います。
T:では日常目にするものが実は神社からきていますとはあまりならないわけですね。
w:日常の建築で使われるボキャブラリーではないのかなと思います。

T:最後に鳥居です。これは昭和58年と刻んでありました。40年ちょっと前ですが非常に綺麗ですね。
w:そうですね。40年前だとこんな感じかもしれません。
T:時代によって使われる石は変わるのでしょうか。
w:変わるかもしれないですね。日本で今あまり大きな石が取れないですし。ちなみにこの柱が一つの石ですので、非常に立派ですよ。
T:どこかからこのサイズのものを採って持ってきたということですよね。
碑文谷散歩(圓融寺)

T:圓融寺に到着しました。
w:本日のメインですね。早速この門ですが以前あった門が老朽化してきてしまった時に、当時の住職が品川にあった門を頂いてきたそうです。
T:門をもらってきたということでしょうか。
w:移築ですね。1950年のようです。しかもその品川にも、兵庫の方から持ってきたとのことでした。品川にあった個人のお宅から圓融寺に移築したそうです。説得したと昔の新聞記事に書いてありました。
T:お屋敷の立派な門だったということですね。
w:そうですね。古そうなんですが、微妙に圓融寺にある他の建物とは雰囲気が違うとは思っていました。おもしろいですよね。よそから自分の寺に見合った門をもらってくるというのが。ちなみにこの門は「四脚門(しきゃくもん)」という形ですね。前にも後ろにも脚があるでしょう。

T:四つの脚の「しきゃく」
w:天保年間て書いてあったかな。江戸時代。元々のオリジナルは(兵庫で建設された時期)。
T:移築する時は一回バラして持ってきてもう一度組み立てる流れですか。
w:そうです。木造はそれができます。例えばお城などは江戸時代以前には非常に敷地が広い。かつて一番広かった時の状態よりは、現代では少し狭くなっています。城郭の端の方にあった土地は売られたりもしているんです。そういった場所にも以前には門があって、それが払い下げられて、一般のお宅に使われていることが稀にあったりします。門は意外と移築しやすいです。
T:設計図も残ってたりするのでしょうか。
w:多くはありませんが、残っている場合もあります。あといつどこのお城からもらったとかは大体お寺であれば記録が残っていることもありますね。

T:すごい綺麗なお寺ですね。立派な鐘もあります。
w:鐘もいわれがあって、江戸後期、谷中にあったお寺と同じ時に作られたそうです。屋根の部分、この銅板がさっき(碑文谷八幡宮)よりも厚くてもったりしているじゃないですか。この形は元々茅葺の形だったんですよね。檜皮は薄くてシャープですが、茅葺はもっとボリュームがある。圓融寺の鐘楼の屋根は、現在は銅板ですが、元々は茅葺をベースにしている。茅の方が檜皮葺に比べてちょっと大きい雰囲気です。

w:これが仁王門。すごい人気だったらしいですね。1780〜90年代。泊まりがけで来た方もいるそうです。そして仁王像は東京都の有形文化財です。
T:立派な門ですね。あと仁王様はガラスに囲われていますね。ガラスは珍しくないでしょうか。格子状になってたり、網が張ってあったりというのは見たことがありますが。低反射ガラスで令和4年に寄贈と書いてあります。しかもライトアップされてますね。
w:建具自体は古いけどガラスは最近のものということですね。
T:またこれも今までのお話しからすると、屋根は茅葺きだったということですね。

w:そして釈迦堂です。あれが国指定の重要文化財です。
T:美しい建物ですね。圓融寺のHPによれば、室町時代初期の建立で、東京都区内では最古、東京都内では2番目に古い木造建築だそうです。素朴な疑問ですが、こういう建物は地震が起きても大丈夫なのでしょうか。もちろん大丈夫だったから今も残っているとは思うのですが。
w:いや、耐震診断をすれば、多くの場合は補強が必要という結果がでてきます。この釈迦堂は割と正方形に近い建物でそんなに大きいわけではないから、壊れたとしても限定的ではないかとは想像しますが。仁王門のように背の高い建物の方が一般的には、大変かもしれません。
T:でもそんなこと言ってしまったら、お寺とか神社とかって調査したら大概は何か指摘されてしまいそうですよね。
w:大概そうです。これ(釈迦堂裏の阿弥陀堂)も50年経っているので何かしら指摘されてしまうかもしれません。

【Part 2へ続きます】